本栖湖キャンプ場

ぜいぜい

2019年07月02日 15:23

2019.6.1(土)~2(日)

本栖湖キャンプ場に行ってきました。


新月間近(6/3)の土曜日だったので、ぜひとも本栖湖で天の川を狙いたい!
と勇んで出かけましたが。。。

星を撮るなら浩庵キャンプ場でしょう、なのですが、相方あの暑そうな浜を見た途端ダメダメとか言って
森の中の涼し気な本栖湖キャンプ場に移動します。

受付をして広大なフリーサイトのどこがいいかなあとぐるぐるします。
テントエリアは8時から利用できるので、結構早めに着きまして、テントを張ったらあとはなが~い自由時間です。






本栖湖キャンプ場といえば、ちょっとした思い出があります。
話は私が小学校低学年の頃にさかのぼります。今から何十年前とかはあまり詮索しないでくださいw
両親は子供もちょっと大きくなったので、キャンプでも始めてみようと思い立ったようです。

その場所が本栖湖キャンプ場でした。当時料金とかは取っていなかったと思います。
赤松の林の中は草ぼうぼうで、それでも結構な人がキャンプしていた記憶があります。

その頃まだ家にはテントがありませんでした。
父は家にあったロープを木の間に渡し、そこにシートを掛けて裾に紐を張って、簡易テントを作りました。
シートといってもブルーシートがまだない時代で、厚い帆布でした。

当然ながら、小さい三角の方は空いていて、風通しががよくて涼しいと言えばそうですが、
外からは丸見えで、蚊にも刺されまくりです。
食事は飯盒でご飯を炊いて缶詰のおかずというものでしたが、初めて自然の中に泊まることに興奮して
なんでも物珍しく、そして粗末な食事でも十分に美味しかったものでした。

思えば、その頃が日本で一番最初のキャンプブームだったと思います。
父は2人の娘の為に、丸見えだったことを反省したのか、新しいテントを買いました。
すぐたわむ重い綿の三角テントでした。
街のスポーツ店は、1階の一番いい場所がテント用具と登山用具で占められているような感じで、
2階にはバレーボールや野球の道具、バスケットボールやサッカーボール、テニス道具などは取り寄せの時代でした。
遠い所は知りませんが、記憶にあったテント場は、本栖湖キャンプ場、山中湖のみさきキャンプ場、
道志はまだ整備されてなくて、自由にどこでもできました。
丹沢はまだ三保ダムのなかった時代で、道志よりさらに未開の地みたいな記憶でした。



ふとそんなことを思い出して、午後からだらだらと食事にします。
道の駅なるさわで買ったトウモロコシを焼いて、この焚き火で焼いておしょう油をたらして食べるトウモロコシっておいしいですね。



野菜炒めをしてお肉を焼いて、いつも簡単な食事ばかりです。



なんとなく時間を過ごして、いよいよ夜半に目をさますと、あたりは霧でおおわれていて何も見えません。
とりあえず、浩庵キャンプ場の方に車を走らせてみますが、途中でこれは行っても無駄だなと諦めてテント場に戻ります。
夜中にもう一度目が覚めてトイレに行きますが、ここは街灯がなくてほんとに真っ暗なんです。
確かこの辺りと思って歩きますが、テントに帰り着くことができませんw
ちょっとあせって、それでも湖畔の道路が見えてなんとかあたりをつけて、自分のテントに戻ることができました。
広いキャンプ場はちょっと夜は迷子になりますね。
昼間何度も歩いていても、街灯も月あかりもないと別世界でした。

*本栖湖キャンプ場:in8時~out12時、テントとタープ持ち込み2人以上¥3000、受付で燃えるゴミとビン缶のごみ袋  をもらえ帰りに処分してもらえます。オートフリーサイトです。トイレ、水場は少ないです。
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