さすらいキャンプ3日目

ぜいぜい

2021年05月13日 11:36

2021.5.3(月)


キャンプ3日目です。
もう泊まり場を探す苦労もなく、やっと神様たちと心置きなく対面です。


紀伊半島とは、なんとも不思議なところです。
かつては天皇が都を構え、仏がはるばる招かれ、
そして古くからの神様から天から降りてきた神様まで、上手に住み分けていらっしゃる。


黒潮に乗ってはるか南の島々からやって来た人たちもいるだろうし、日本海からやって来て
陸を超え、山を越えてやって来た人たちもまたいるのでしょう。
九州もそうなのだろうけど、紀伊半島もそこに日本人のルーツを見るような気がするのは私だけでしょうか。


熊野の神様は、いつからそこにおわしましたのか。。。
自然に生まれ、崇拝され、仏教と相互に勧請されて、益々信仰が盛んになっていったと言われるように
1000年よりなお長い年月崇拝され、今に続きます。

苦労を課して、汚れをそぎ落としての熊野詣に引き付けられた人々は、修験道の人々ばかりでなく、
末法の世の天皇たちも、何度もこぞって出かけています。

熊野本宮大社を目指す参詣道は、さながらメッカへの巡礼路、サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路
エルサレムへの巡礼の道を思わせます。


聖地を目指すという目的に向かって歩くという行為が心を清浄にさせ、それぞれが違う神様であっても
もしかしたら目的は一緒なんじゃないかと思わせる。。。



そんな私は車ですw
最初は熊野那智大社から。
那智山のバス停付近の駐車場に車を停めて、参道を行きます
467段の階段はそこそこきつい。





本殿に到着です。
山懐にいだかれ、荘厳な雰囲気です。





こちらは那智の滝がご神体で、それは森を育む水、しいては海へと森の養分を繋ぐもの。
体験的に、古代の人々は生命のサイクルを知っていて、決して途切れさせない。
いつからか、私たち現代人はそれを途切れさせ、今また少しづつ、ほころびた個所を修正していくことに気づく。






西国三十三ヶ所第一番札所、青岸渡寺に向かいます。
神仏習合の一大修験道場だったものが、明治時代の神仏分離令によって分かれたようです。








那智大社は相方が若い頃来たことがあるそうで、滝まではすごく遠かったって言うので来た道を戻ったんだけど
やっぱり滝まで回らないと意味がなさげな気がして、すごく心残り。。。


気を取り直して熊野速玉大社に向かいます。





立派な門をくぐります。





ここ、熊野速玉大社は「甦りの地」とされています。
滅罪と救いを求めて、苦行の末に訪れた先が「甦りの地」なのだそうです。

元々熊野の神様は神倉山のゴトビキ岩に降臨され、今の地に遷されて「新宮」となったそうです。


清々しさ100%になったところで、丸山千枚田に向かいます。
棚田を見るといつも思うのだけど、この労力と執念っていうのかな、いつも頭が下がってしまいます。





このまま瀞峡に向かおうかと思案していると、赤木城址という案内が目についたので、行ってみることにします。
山中の城跡なのに、思いの外観光客が多いなと回っていると、
ここは「続日本100名城」というのに選定されていて、当然「日本100名城」というのもありまして
今そういった城巡りをして、スタンプを集めるのが、密かなブームらしいです。へ~




城址までは駐車場からすぐです。小広い山頂?は桜の木々が植えられて、なんていいキャンプ場。。。
いえいえ、見晴らしよくのんびりできます。

藤堂高虎築城とのことで、一揆を抑えるためとか所説あるようです。
野面積みの石垣が素朴でなんともいい風情です。


さて、瀞峡に向かいます。
本当はジェット船で瀞峡巡りをしたかったわけですが、河川維持の経費がかさむこと、コロナでの乗船客減などの為
現在休止中です。
いろいろと諸事情があるのでしょうけど、引き金を引いてしまったコロナ禍が落とす影を見てしまったようで
これは本当に厳しいなと感じます。

木津呂集落まで行ってみます。
そんな瀞峡は陸から眺めても、美しい渓谷です。
トンビだけが、我が物顔で飛び回って、渓谷を独り占めです。








大きくぐるっと一回りして、キャンプ場に戻ります。
お昼はささっとカレーを、夕食は昨日採ったタラの芽を天ぷらにしたのは覚えているんだけど、
他に何を食べたのかまったく思い出さないし、写真もなし。
あり合わせで済ませちゃったようでした。










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